バイタルサイン

2018年の文フリに出したやつ

 

バイタルサイン

 

 おれたち人類は太古の昔から何かを書きのこしたり、とりあえず物として残しておくことが大好きだ。例えば洞窟に獣の油とか樹液を使って描かれた壁画、どうやってくみ上げたかもわからない意味不明のオブジェ、放課後の黒板に描かれた日直の相合傘。

 そしてそれは形あるものに限ったことでもない。

 音楽、大げさなものだと電波信号に乗せられた宇宙人へのメッセージ。点滅を続けるだけの灯台。何のためにつくられたのか。作者本人がだれかに発見されることを望んでいたのか望んでいなかったのか、それは特に問題じゃない。

  とりとめもなく残されたもののうち、極めつけは俺たちみたいな宇宙にぶっ飛ばされた雛人形だと思っている。特に与えられた目的なんてなく、四方八方やみくもに永遠の浮遊を続けるための存在。なんの用途もない、なんなら誰かに発見される見込みもないってのは、まあそこら辺の落書きとそう大差ないのかもしれない。

 

 みずきが雛人形になることを選んだのは、きっとこれから先続く、永い道のりの果てで彼女自身をもう一度定義づけたかったからなんじゃないだろうか。人が誰かにとって意味を持つ瞬間は、あくまでも膝をつきながら祈りを捧げたり、ただ同情を買ったときに始まるんじゃない。望む人と望まれる人、その両方が出会い揃ったその刹那、意味は始まってゆっくりと続いていくんだと思う。だからみずきが、あの子がその道のりに残していったものを後ろからそっとついて行って拾い集めることができたなら、彼女は救われたような気がしてくれるんだろうか?

 みずきが危篤になったことを知った時、たしか俺は納期間近のやっかいなプロジェクトに巻き込まれてしまって、伸るか反るかの大仕事に取り組んでいる最中だったと思う。医者からの知らせは電話だったかな?いやメールか?いやとにかく、当事者の気持ちには一切関知しないというような、やけにドライな報告だったことだけは覚えている。緊急のオペだか投薬を終えて病室に戻されたみずきは、ベッドの裏底や枕元の機器からのびる透明な管に繋がれて、俺が部屋に入ったときにいつも見せてくれるような愛想たっぷりの笑顔はなくなっていた。多分、意識も朦朧としているような状態だったと思う。

 

 みずき………………?

 

 しっとりと柔らかいみずきの首筋の産毛。手を添えてみるとちょっぴり肌は汗ばみ、意識を失っているはずなのに、何かを感じ取ったみたいにビクッと彼女は身を震わせた。彼女なりの、持ち合わせの体力をありったけに使ったせめてもの応答。みずき、どうしたい?君は本当に宇宙へ行きたいかい?彼女の額にそっと手をあてながら聞こえるか聞こえないかくらいの声で囁く。

 そしたら今度は苦悶の表情を浮かべながら身を捩るようにしてこちら側に顔を向ける。薄目をあけてこっちを睨みつけるような表情をした。

 

 「もう考え直すことはないか?」

 頷く。俺も頷き返す。

 

 あの時もっとねじ伏せるように言い聞かせていてもみずきの気は変わらなかっただろうな。相手の意見を自分本位に改めるさせるのはすごく傲慢なことだと思う。意志の決定に逆らう権利はどこにもありはしない。それでも俺は本当はみずきにどこにも行かないで欲しいと、あのロクでもない祭の供え物になんてならないでくれと泣きすがりたかった。生き続けることをあきらめないで、無限大の時間と距離を独りぼっちで過ごすなんてことはやめて、ひどい有様でもいいから、体のどこが欠けたって、医者が治すのをあきらめたって、その体で生きることをやめないでくれって身勝手なことを頼みたかったんだ。

 

 

 たおやかに、美しく。だれからも愛されるようにと祈りをこめて。生前の人格をコピーした雛人形を、山車風にしつらえた人工衛星に載せておくり出す、いつかの再生を願う永遠の流し雛、それが写雛祭。自治体ごとに執り行われる写雛祭に抜擢された人間は、死ぬその瞬間を見計らって記憶と人格をごっそり特製のハイテクAI雛人形に転写される。

 残された余命を知ってから、俺が病室に入る度にみずきは写雛祭の女雛になりたいとせがんでくるようになった。

「ねぇどうして?写雛に選ばれるってことはとても名誉なことじゃない?ただこうして死ぬことを待つだけの私には、とても魅力的なことに感じるんだ」

 ほぼ永遠に一人ぼっちになる訳だから、ほとんど写雛祭に立候補する奴はいない。

「どうかしてる。 地球から出ていったっていっそう孤独になるだけだろ。この前もテレビでいってたぞ。雛人形同士が宇宙で再会できる確率は宝くじ一等を5連続で引くくらいだって。だから一生、正真正銘の永遠に独りぼっちになるんだ」

「でももしかしたら!何百年、何千年、何億年かかるかわからないけど......」

 遠い、途方もなく遠い未来に再会を求めるみずきの望みは俺の希望を挫くには十分すぎる程に大きかった。出かけた言葉が喉を圧迫し、焦りだけが増幅する。そんな事言わないでくれよ。

 みずきの最後の言葉が、乱反射するプリズムみたく頭の中でリフレインを始める。彼女の声が、ささやかに聞こえる俺自身の動悸が、拡大と縮小を繰りしながら視界をブラックアウトさせていった。

 それはあるときのメモリ上に再生されたみずきとの会話。雛人形としての眠りから目覚めるとき、俺たちはきまって夢をみる。一種の気つけ薬として、目視による判断が差し迫った時、システムはみずきの記憶をリブートする。そして雛人形たちをささやかな居眠りから叩き起こす。きっと生身の人間だったなら冷や汗でぐっしょりになっていたところだろうが、絶対零度の宇宙空間では、ましてや無機物となり果てた今の俺には血の通った人間らしい反応をすることはもう叶わない。

 

   くわぁ…

 寝起きは必ずあくびをするようにしている。

 AI雛人形ににあくびをする機能が実装されているのは皆不思議に思うかもしれないが、これはこれで重要なフレームワークとして成立している。あくびの有用性。一つ目は今猛烈に退屈しているという正しい現状認識。二つ目はそれ自体が非常に短時間であっても数秒の暇つぶしになること。

 そもそもあくびを再現してみようと思い立ったのも、退屈が高じてのことだった。宇宙の放浪は凶悪なほどに暇であると予測したエンジニア達は、気を利かせて俺に大量の遊び道具を持たせてくれた。ソフトウェア的自己開発環境と制限なしの自己アクセス権限。各種搭載機器の無制限使用、宇宙のそこら中に散らばっている元素を取り込んでハードウェア的な自己開発もできる。例えば任意にアンテナを増やしたり傷やへこみを修復したりだとか。

 みずきはこの所在のなさをどう紛らわせているのだろうか。

 そういえば病気になる前の彼女は暇さえれば歌詞を書いていた。

 昔、といっても俺とみずきが新社会人1年目のころだったから多分150年くらい前の話。落ち目になったシステムエンジニアの俺とは違って、それなりに忙しい業界に進んだみずきは仕事に順応することができなかった。そのころあの子は頻繁に入退院を繰り返していた。入院、といっても突然倒れて救急車で運ばれるといったことは当時そんなに多くはなくて、いつも週末に体力を使い果たして家に帰る代わりに診察、そしてそのまま検査入院ってケースが多かった。

 秋ごろの写雛祭の季節、俺はいつも通り定時ちょっと過ぎには仕事を終え、とりあえずのお見舞い用のお菓子を買ってみずきの所に向かった。彼女がいる病室はちょうど窓から祭に使われる飛行場がよく見える位置にあった。雛祭なのに三月じゃない理由は知らない。何百年と祭を繰り返していると全部ひっくるめて祝ってしまおうといった輩が現れるのは必然だ。

 とにかくあの時は丁度祭の当日で、打ち上げのために組まれた矢倉や開店準備中の縁日屋台が病室の外の景色を賑わせていた。

 彼女はベッドから身を起こして、窓の外ではなくシーツに落ちた夕焼けを見つめるようにして歌を口ずさんでいた。

 

ぼくにも ゆずれないものがあるんだ 頼りないこの足取りで 確かな なにかを残してゆこう そっとあなたには伝えたいから また ぼくは手を伸ばしてみる ぬくもり つなぐ手 なんども 走って 転んで また走る なんども くりかえす 立ちどまって すこし思う

 

 病室のソファに腰を落とした。二人掛けの革製のソファは柔らかく、俺のおしりをシュッと音をたてて包み込む。俺は息を吐きだす。

 みずきはまだ俺が入ってきたことに気が付かない様子で、相変わらず自分の足元に目線を置いて小さな声で歌い続けていた。

 

 パッ パッ パッ パッ シュコー..... パッ パッ...。

 

「...院内にいらっしゃる方々にお知らせいたします。まもなく2084年度、厚木市の写雛祭が開催となります。雛人形の打ち上げももう間もなくとなりますので、皆さま窓の外にご注目ください」

 写雛祭が始まるというアナウンスが聞こえてくる。

 

 「あぁ...みずき来てたんだ。こんばんは」

 

  1. 9. 8.7……………

 

 繧繝模様に塗装されたロケット、噴射口から青白い炎が放たれ始め、中継を任されたニュースキャスターの口調も興奮気味になっていった。和太鼓の音が、雛人形の出発を盛大に飾り立てようと激しく打ち鳴らされた。

 

「こんばんは…」

 

4...3...2...1...

発射台の下にとてつもなく真っ赤な火球ができたと思った次の瞬間には収束し、また青白い炎になってロケットが空に持ち上げられていく。

 

ブシュー...シュシュシュ....

 

「何?なんの歌、歌ってたの?」

「んーこの前書いてたやつ。今日やっと完成したんだ。ところでさ、今のみた?写雛祭の打ち上げ」

「うん丁度ね。病室に入ってきたとき見えたよ。みずき、歌ってて気づかないんだもんな」

「あ、ごめんね。外と歌に気を取られちゃってたみたいだね。祭、きれいだなあ。体調が悪くなければ行きたかったのにな」

「お祭り好きだっけ?俺はあんまり得意じゃないかな。行くのも見るのも雰囲気も」

「まったくもう、だから誘ったことないんだよ。ひろむらしいけど。私は好きだな。特に写雛祭。特に理由もなく人が集まって何かに祈っていくのって結構神秘的な気がするし。ここから見えてよかったな...」

「祈ったりお願いごとするのを強要されてるみたいで嫌なんだ。しかも写雛祭って必ず打ち上げの時泣いたりするだろ?あれみてて結構つらいんだよ」

 正直、寂しい気がするから祭は嫌なのだ。「花火」、といえば足を止めて宙を見上げないといけないし、「屋台」、といえば金魚をすくって帰らないといけない。みんな同じことをしなきゃならないのは一体感に満ちているようで、実はみんなそこにある文脈とか倫理に従っているだけなんじゃないのかと思う。

「そうかな、祈るも祈らないもみんな自由にやってるよ。私はあの何もしらない人たちが無条件に集まって同じことを願うあの光景が好き。だってみんなきっとお祭の意味なんて知らないはずなのに必ず同じことを願って帰っていくんだから」

 そうだな、と俺は答える。みずきの話していることが、これから先に訪れるかもしれない彼女自身のことについて、雛人形になることを決めかねているように感じられたのだった。

 

3 

 

....さて、今の雛人形的睡眠から目覚めたということは、どうやら俺は300年近い時間を費やしてようやくみずきの活動の痕跡を見つけ出したらしい。目覚めたての人間がスマホを探すように、記憶領域にぽつんと置かれたファイルを展開してみて心臓が止まりそうになった。

 微弱重力の砂嵐の中、俺の電子頭脳にキャッチされていたのは恒星由来の弱プラズマでもなければ聞き取り不可能な異星語でもない、古式ゆかしい振幅変調の電波だった。

 二進法で表した機械語でもない、通りがかりのエイリアンに向けた塩基配列図でもない、もちろん単なる自己紹介文でもない、れっきとした慣れ親しんだ日本語。

「.....このメッセージを見つけた人、いや多分どこかの雛人形になるかな。伝えてほしい、いや伝わらなくてもいいのかな?きっとこれが彼に伝わったときには私はもうずっと先の宇宙にいるのだろうし...」

 書置き、というよりも独白。かすれてノイズ交じりの音声になってはいたが、絶対に聞き間違えることのない、みずきの声だった。

 一体どこから?即座に時間と現在の経路を取得して電波が発信された位置を逆算する。キャッシュに残った映像データと内蔵マップから推察するに発信源は火星と木星の間に存在する小惑星ベルト。3万キロほど離れた場所に浮かぶ直径2キロの氷惑星らしかった。不自然にも周辺には密集した小惑星もなければ有害なガス雲も存在しない、明らかに人為的な力(人為的というのは不適切かもしれないけれど)によって整理整頓された空間にある電波塔。

「ひろむ、貴方がこれを聞くことがないとはいい切れない。その可能性に懸けてこのメッセージを残していくね。きいてくれるだけで私は大満足なんだ。なんとかしてその結果だけ知れたらいいのになぁ」

  即座に電波が送信されてきたであろう方角に向かって舵を切った。真っ暗な空間に対して水切りの要領で、一定のリズムでスラスターの火を噴きつけて徐々に速度を上げていく。背中を押すような太陽風に帆を張り、俺は邪魔な小惑星を次々とパスしていった。

「君をおいて行ってしまった。ずっとそのことを気がかりにしているかもしれない。私がなにもかも放り出してしまう結果になってしまったと後悔しているかもしれない」

「でもひろむが気にする必要なんてない。私は君が好きだった。きっと君は私の事を探しに来るんだろうね....」

 空間を進むにつれ徐々に鮮明になっていくAM電波を手繰り寄せながら、とうとうその目的の氷惑星の目の前にたどり着いた。

 みずきの姿は...ダメだ見当たらない。生死にかかわらず、特に彼女の痕跡といったのは残されていないようだった。しかしそれはある意味では安心するべき発見なのだろうか。とにもかくにもみずきが直接電波を発信しているのではなかった。ただ彼女がここを通った証であるのは間違いない。彼女自身は発信源ではないとするならば、氷惑星の表面化か惑星周辺に再生モジュールかなにかを設置していったはずだ。目視で直径5kmくらいだと推定できる氷惑星の周囲をグルっと一周してみる。太陽にむかって反対の方向、ちょうど陰になっている部分に置かれたクローム色の立方体。発信装置だ。

 「いつになるかわからないけど、もしかしたら会えるかも。マップを残していくね。私はこれからケンタウルス座の方角に向かうおうと思います」

 ようやく発見したのはプルトニウムバッテリーと省エネモードで再生だけを繰り返す音声モジュール。プルトニウムを使ってくれたのは流石みずき、何年経っても相変わらずさり気ない気を利かせるタイプなんだと懐かしい気持ちになった。同位体の減少からある程度の経過期間を推察するにおよそ200年前に吐き出されたメッセージ。みずきがよっぽど速度を上げて移動していない限りまだ太陽系から離脱しているということはないはずだった。近くもないが追いかけられないほど遠いわけでもない。もしかしたら彼女はまたどこかの星の近くで道草を食っているかもしれない。そう考えると後を追う価値は十分にあった。

 

 取り急ぎ受信したものの内、未開封のものを順番に再生していく。

「もしもこのメッセージを何らかの形で受け取っているのなら。ひろむもきっと雛人形の身体で夢をみるようになっているんだろうね。私もね、ひろむとの思い出ばかり夢に見るんだ。この永遠の独りぼっちの旅に飽き飽きしてどうにかなっちゃなわないのは、あなたとの懐かしい記憶がこの体をずっと揺りうごかして正気に戻してくれるからなんだ」

 

 

 何度手術を繰り返してもみずきの容体はもう回復することはなかった。最後の診察でもう治療の見込みがないと判断されたとき、彼女は写雛になることを医者に頼み込んだ。そして彼女は自分一人だけで、俺にも身内にもそのことを告げることなく転写の儀式を終えた。写雛祭の三日前の出来事だった。

 その後からみずきが宇宙に出発するその日まで、俺は雛人形に会ってお別れの挨拶をするのをずっとためらい続けてた。儀式が終わって、ただの雛人形と同じ見た目になってしまった彼女に、俺の声が聞こえているかなんてわかったものじゃなかったから。しかも山車型の人口衛星に色々な計測器やら軌道を計算するコンピュータと太くて固いケーブルを背中に繋がれて、本来雛人形は華やかで誰の目にも美しいものとして映るのに、打ち上げ前にどんな姿になるかなんて学校の授業かなんかで一度は見聞きしている。

 

「ひろむはもし私が雛人形になったとしても、こんな風に会いに来てくれたり、見送ったりしてくれる?多分、私はね、私が見送る側の立場だったらすごくショックで顔を合わせられないんじゃないかなあ」

 彼女が雛人形になりたいという時、よくこんな話をよくしていた。

「もし雛人形になった人たちの心や考え方が変わっていないとしても、彼らのことを前と同じ人だと思って話しかけたり、笑顔で見送ったりするのにはきっと時間が足りないと思う」俺は多分きっとそう返していたと思う。

 

 西陣織の御衣裳を重ねても、少女のように美しい鼻筋をしていても。きっと彼女の精神が宿った雛人形に、彼女自身の面影を見出すことは俺には到底無理なことにしか感じられなかった。例えば何よりも大切にしている恋人や風景があったとして、その姿や形がおかしくなってしまったとしたら、俺たちは前と同じ愛情を変わることなく与えたり持ち続けたりすることはできるのだろうか?変わらないでいること、それは愛情を受け取る側にとっても相手に示すことのできる、一つの愛情の様式なんじゃないだろうか?

 機械仕掛けになってしまったみずきと顔を合わせたとき、きっと彼女の面影をどうにかして探そうと必死になると思った。多分きっと雛人形の身体になった彼女をみても絶対にいつも通りに冗談を言ったり、離れる前に手を握りあったりできないんじゃないかと怖くて仕方なかった。

 結局、ひろむと面会をすることができたのは打ち上げの当日。ひろむの親御さんのご厚意で招いてもらっていなかったら、多分俺から顔を合わせに行くことはなかったんじゃないだろうか。

 雛人形になったひろむが保管されている場所は祭会場のすぐ傍に設置された文化財然とした昔ながらの御所。一般的な高床式になっていて、山車型衛星に取り付けられた雛人形を置いておくとなると四十平米のそれなりの大きさになる建物だった。砂利が敷き詰められただけの庭園を超え、入口を入ってすぐ。いた、みずき。アルミと似た光沢を放つ樹脂に覆われた不格好な山車。その中心にある積載ユニットに、沢山の配線をその背中に繋がれたみずきがこちら側に顔を向けて取り付けられていた。

 俺がその正面に立った時、からくり人形みたいに動いて彼女は顔を上げた。

「こんばんは、来るのが遅いよー」

 会話をするための声帯がないわけだから、山車のどこかしらに組み込まれた交信用のスピーカーをつかって彼女はノイズ交じりの挨拶をしてくれた。

「ごめん、正直来るのに迷ってたんだ」

「まあそんなところだと思ってたよ。でも最後には来てくれるんだろうなって、心配はしてなかった」

 「本当に本当に最後まで来るのに迷ってたんだぞ。みずきの親御さんに呼ばれなかったら多分、わからなかったし」

 いまから今生の別れになる恋人に何を言っているのか。しかしこんな俺の薄情な俺の物言いにも彼女は気を悪くした様子はなかった。

「ねえ、私の姿、どう?」

 どうって......。正直、その見た目に驚いた、ということはなくて、身体がすげ変わってしまったのに元気だったころのみずきと全く変わらない調子で話しかけてくる方がずっとずっと衝撃的だった。少し間をおいて言葉を続けた。

「何も言わずこうなっちゃってごめんね」

 やっぱり挨拶に来るのが遅かったのを気にしているのかなと咄嗟にはぐらかそうとしたけれど、何も言葉がでてこなくて、まじめな言葉も出てこなくて、俺はみずきの変わってしまった手を握る。雛人形の腕を震わせてちょっと引こうとしたけれど、俺は離さない。 それから少し泣く。

「みずき。毎回思い切りがよすぎるんだよ、もう少し、なんで一言くらいことわってからにしてくれなかったんだよ」

「そんなこと言ったって多分止められるのは想像できたもんね!決心がついた瞬間の気持ちを大事にしたかったんだ」

 そう言う彼女のスピーカ越しの声が少しだけ泣きそうになっている気がした。もう二度と大切な人に会えないかもしれないと伝えるとき、もしかしたらその決心は反故にされてしまうかもしれない。この瞬間、俺はしっかりと、みずきの恋人としてその意思を受け止めようと決意したのだった。

「みずき、誓うね。俺は一生、君のことを想い続けて生きていくから。ずっとずっと。だからこの先の果てしない、この人生の何千倍も続く旅の間も、君は俺との思い出をずっと抱えて生きて行ってほしい」

 お互いが心底言いたかったセリフを俺が先に伝えた。私も。と返してくれた。みずきが残した数十年と、この先に続く途方もない時間を比べてとかそんなことではなくて、お互いが心に閉まっていた言葉を素直に吐き出しただけのことだった。

 繋ぐ言葉を遮るようにアナウンスがあった。もうそろそろ打ち上げの時間になる。この時ほど離れるのを躊躇したことは、彼女が病気の間にも一度もなかったと思う。

「はいそれじゃ、行ってきます。またねっていうのは、反則かなあ」

 もうスピーカーからの声も鳴き声交じりになってうまく聞き取れない。俺がまた返事をしようとする前に、彼女は打ち上げ台に運ばれていった。沢山の巫女さんに囲まれて、この先の永遠の命と幸福を願うためにと、沢山の人間が膝をついて祈りを捧げていた。

 

5

 

 みずきが俺の夢を繰り返し再生して生き続けているように、俺もまた彼女の思い出だけを頼りに今も稼働を続けている続けている。

 氷惑星で彼女からのメッセージを受信して、18光年ほど先、ここまで来るのに1200年と半年。俺は幾度となく睡眠と覚醒を繰り返して彼女の痕跡を躍起になって探し続けた。それまでに見つけたのは小惑星にへばりついた半粘菌の知生体やどこからともなく感染してきた異星人作のコンピュータウイルス。彼女の痕跡らしきものはまだ発見できていない。

 今も膨張を続けている宇宙の中で恋人を追いかけ続けて、また一緒に生きようなんていうのは人類の誰も試みたことのない大馬鹿だと確信できる。ただ唯一わかるのは、きっとみずきも同じことを考えてこの宇宙を旅しているということ。地球での二人の最後の会話。恋人といえば恋人らしい、当たり前の別れの言葉。普通は生きる時間の長さが約束をだんだんと白紙に戻していくだろう。でもそれは逆で、残した時間の長さが、約束の言葉を強くすることもある。

 だから俺は何千、何億光年先だろうとずっとこの雛人形の体でみずきを探し続ける。銀河系を飛び出した向こう、恒星の光も届かない深海のような世界。きっとみずきはそこにいる、不思議な確信を持って。

 おやすみ、みずき。

 何度目かの別れを告げる。

 沢山の星々の光を背中にして、俺は再びみずきの夢をみる。